付き合った記念日

 今日は何の日かと問われれば、今日は付き合った記念日です。いつもと変わらずだらだらと過ぎていくだけの休日です。
 思い返せば6年ぐらい前の今日、真夜中にうろうろうろと二人で歩き回りながら、「てめえが告れよ!」と互いに牽制しあっていたのが懐かしい思い出です。今よりも北ですんごい寒くて何にもない森みたいなところに住んでいたため、寒い!そして暗い!何もない!おそらく気温は氷点下。そんな中、ひたすら2時間牽制しあいながら森を歩き回りました。確か土曜日だった。私はもうこんなことはやめて早く家に帰ってカウントダウンTVが見たかった。もうやだ!寒い!もうどうでもいい!思って私から告って(つまり牽制に負けた)すたこらさっさと逃げ帰ったという美しくもなんともない思い出があります。


 乙一の「死にぞこないの青」を読み終わった。もう最後のほうはむっちゃ怖くて「怖い!」叫びながら、しゃべりかけられても生返事で最後まで一気に読んだ。話は、5年生の男の子が先生に目をつけられて、いじめられ、それに倣ってクラスメイトからもいじめられ・・・そして・・・という感じの話だった。話の筋をうまく説明はできんけど、ほんまによかった。この感覚、すごいすごい分かる!と思った。悪意がまだない子ども時代にこんな目にあったら、まだまだ先に開花するはずやった悪意や憎悪が目覚めてしまうよねえ。その早すぎる目覚めみたいなのがうまく描かれてる気がした。あと、子ども時代の逃げ場のなさ加減がすごいよく描かれてた。私も小学3,4年くらいまでにそっくり同じ目にあってたら、かなり似た感覚をもって、似た行動をとったんじゃないかと思った。大人の今やったら、逃げられる。仕事も自分の判断でやめられるし、付き合う人間も自分で選べる。大変でもそういう道があるってことが分かってる。でも子ども時代は、「学校と家を往復する」、それ以外の選択肢なんかなくて、学校に行くことを拒否したら必死に守ってる世界ががたがた崩れてもて生きていかれん。どんなに行きたくなくても行く以外に生きる術はない。行ったら行ったで、別にやりたくもないことを集団でし続けて憔悴して帰ってくる。とりあえず無事に帰ってくる、それだけが成功。ああ、自分でも何書いてるか分からん。
 こう書くと、まるで暗い小学校時代を過ごしたかのようやけど、普通の小学校生活を送ってました。なので、こういう感覚は、誰でも持ってるものなのか??それとも私だけ?こういう感覚が分かる人だけが乙一を好きになるのか?


 乙一がすごいと思うのは、恋愛じゃなくて、こういう子ども時代の逃げ場のなさ加減とかの描き方がうまいところ。20代になれば、恋愛の感覚は誰にでもあるから書きやすいと思うねん。だから恋愛小説が多く出てて多く売れてるんやろうし。乙一は、大人になってるのに、子ども時代の感覚を生き生きと書くことができる。そこがすごい。現在進行形では味わってないはずの感覚を書けるってすごい。


 そういえば、「28歳、少女でも大人でもない幸せ・・・」とかいう化粧品のコマーシャル、1週間くらいで終わったね。やっぱりクレームが多かったんじゃないの?28は大人やろが!!っていう。