あ〜楽しかった!

 こんなに文句言ってる割には、結婚式が終わったあとの感想はいつもあ〜楽しかったなのだ。それなら文句言わんかったらいいのに・・・。いつも誰よりも先に誰よりも多く泣いたりするし。普段あんまり会えへん友達とも会えるし。美味しいかどうかは別としていつも食べへんようなもん食べれるし。ああ嬉しい。
 
 今日は白金台にある、ハッポウエンとかいうところで式と披露宴があった。都会の中にあるのに、森みたいに緑がいっぱいで池やら川やら流れててほんっまに豪華絢爛なところやった。結婚した友達は、ほんまにいつもどおりで、こっちを見て目が合うとニヤリといつもどおり笑ってくれ、それはチャペルの中でも披露宴でも変わらず、そこがまた「ああ!いつもどおり!!!」って感じですっごいよかった。とにもかくにも感じがよかった!!ここなら、「結婚式せんかったら殺す」と言われたら式を挙げても良かろうと思えるところやった。


 ご祝儀は・・・友人は二人で一つのご祝儀袋に3万円包もうと主張したけど、いやいや、夫婦でも姉妹でもないのに二人で一つのご祝儀袋っていうのは意味が分からんやろうとなだめすかして一人二万包んだ。もちろん一万円札2枚です。もうちょっと早く5千円札活用法を知っていれば・・・・。あんなに感じのいい終わり方やったのに、今頃友人は怒りに肩を震わせているかもしれない・・・。


 思うのだが、私と他人とでは結婚式に対する考え方が全然違うのだ。私は自分の考えに確固たる自信を持っているが、他人は他人で結婚式に確固たる何か、たとえその考え方が・・・・・・であっても(一部自粛)、何かしら考え方があるのだろう。そして他人の考え方は私とは全く違うが、悪いことをしているわけではない。勝手にやればいい。そしてその他人の考え方に基づく結婚式に呼ばれた私は、他人の方法に則って参加すればいいのだ。イスラム教徒がインドに行って、泣く泣くヒンズー教の教えに従うようなものなのだ。郷に入れば郷に従えなのだ。

 呼んでもらえることが当たり前すぎて、呼んでもらうありがたさを感じてない点も問題だ。もし今までの結婚式に呼ばれんかったら、私はかなり落ち込んだはず。ということは、呼ばれたいわけで、呼ばれたいなら、文句はいうな、ありがたく思えということなのです。
これでご祝儀さえなければねえ・・・。

 そして他人と私の考え方を二分しているのは
①結婚式がしたいかしたくないか。
②結婚式は自分のためか人のためか。
 この二点が異なっていることが原因だ。したくない私にとっては、自分のための結婚式を盛大にやりたいという願望は全くない。万が一やらねばならなことになれば、それは完全に他人のための結婚式ということになる。そんな私が、逆の考え方の人の結婚式に登場すると、そこかしこで「ぉぉ」「ぅぉぉ」といううめき声を上げることになるのだ。

 幼稚園で将来の夢を聞かれて「お嫁さん」と答えている女の子の気持ちが幼児ながら全く分かりませんでした。そのころは心根の美しい子どもだったので、それに対して意地悪なことを思うということはなかったが、「なんで?あんな恥ずかしいことを?それがゆ、夢?」とちんぷんかんぷんでした。そして、「え?それ一日で終わるもんやのにいいんかな。職業じゃないんじゃ・・・」とも思ってました。そんな幼児がいて、今の私がある。三つ子の魂100までとはよく言ったもんだ。

 さてさて引き出物は何かな〜。開けてこようっと。