二日連続カモンタツオ

 今日の帰りにも同じバスに乗り合わせてしまった。。。もはや、彼を後姿だけで確認できてしまう・・。

 今日はあえて気づいてないふりして、無視しながら、彼から一番離れた席に座ってみた。いつもなら、近くの席まで移動してくる彼。でも今日は恐れを抱いたか、なんと移動してこなかったよねえ。恐れられちゃったか、私。結局彼の隣には、私と同じ病棟を担当してる医者が座ってしまった。「ああ!先生!そこはだめよ!!」といっそ叫ぼうかと思ったよねえ。


 案の定、カモンタツオを歌い始めた彼。でも心なしか声が小さい。いつもはバス中に響く声やけど、今日はターゲットを医者のみに絞っている模様。あれ?若い女だけに寄ってくると思ってたのに。。。医者は40代男性ですがそれでも良かったんですね>青年。


 案の定、医者の顔をのぞみこみながらカモン熱唱。でもさすがは年の功。医者は、完全無視。動じてません。すごいぞ医者。ちなみにこの先生は、かなり優しい感じの先生なのです。そんな心根の優しい先生の完全無視の姿を見てしまった。
 でも完全無視も結構いいかもしれん。彼は張り合いをなくしのたか、黙る時間が結構あった気がする。せ、先生、あえて無視することで、彼の歌声を止めようと思ったんですね。なんて計算された行動!


 医者が途中下車した後は、周りの客はしゃべっており、かなり張り合いをなくしている模様。黙ったり、小さい声で歌ったりが多かった気がする。まあでかい声のときもあったけどさ。でも彼のこんな姿は初めて見たかも。もしかしてもしかしてもしかして!昨日叱り飛ばしたんが効いたんやろうか!そうやったら嬉しい!!
 それにしても周りの客・・・あんな歌声を聞きながらも、青年を完全無視しつつ談笑してる・・・。すげえ。


 そして終点。わたしゃ見てしまったよ・・・。どっかのおばはんが青年としゃべってる姿を・・。青年からしゃべりかけられて「本当にびっくりするくらい歌うまかったわねえ。」
青年「ほんとう?」
おばはん「今度教えてね」


 ああああああああああああああああ!!ばばあ!お前が青年を強化してたのか!!私の昨日の努力はまた水の泡ですか?????!!!!!これだけは言っておきたいが、青年の歌声はほんまに騒音としかいえないくらい下手くそであり、歌詞の内容は、びっくりするくらい意味がなさすぎて怒りすら覚えるカモンタツオ。こんな歌、絶対絶対教えてもらいたくないんですけど!!!嘘つくなよ!


 と、悪態をついてしまいましたが、実は怒ったというよりまた考えてしまった。おばはん、先生、私、誰の対応が一番正しいんやろう。全員の行動をかなり良心的に解釈してみる。
おばはん:優しそうなおばはんではあった。きっとボランティアをしているか、あるいは知り合いに障害のある方がいて、そのつきそいでバスに乗っていたのだろう。おばはん曰く(言ってないけど)「青年の重要なコミュニケーション手段がカモンタツオなんだから、それを温かく見守るのが一番彼にとっていいのでは?」

先生:「彼に反応することにより、それが強化子になって、カモンタツオはますます繰り返してしまっているのだ。ここはあえて無視をすることにより、その強化子を取り除くことにより、彼のカモンタツオを、彼自身の力で止めさせてあげることが波も立たず、一番親切な方法なのでないか。」

私:「電車で騒いでるガキがおったら叱り飛ばすのが大人の役目。それと同じ原理。なぜ障害があるからって許される?理解できることやのに好き勝手にしてるのは、理由を話してやめるよう注意するのが一番親切なのでは?このバスの乗客はみんな察してくれるけど、世間はそうじゃない。一般のバスや電車に乗ったときに変人扱いされるのが一番かわいそうなのでは?」←でもなぜ叱り飛ばすのがあんまり年齢の離れてない私なのかはよくわからん。あと、カモンタツオのくだらなさ加減も周りを余計イライラさせるのだ・・・。

 
 さあ、どれ?たとえば、自分の子どもがこの青年やったとしたら、取り巻く周りの大人として、どの対応が一番ありがたいのだろうか。あるいは一番愛を感じるのだろうか。ちなみに私は、青年に対して愛は感じてないのだが。愛が深いといえば、まあおばはんが一番深いかもねえ。


 うーん。堺雅人が出てるから、なんとなくエンジンをかけてるときもあったけど、いつの間にかかけることさえなくなってもたな。。。あんまストーリー面白くないし。境雅人が主人公なら見たけどさ〜。