次の日、おじいちゃんに会いに行った。
みんながおじいちゃんに手を合わせるからそれに倣ったけど、変な感じがした。
なんで手を合わせるんやろ・・・って感じ。
ドライアイスで冷やされてて、おじいちゃんの手とドライアイスの区別がつかんくらい手が冷たかった。
でも、顔も手も、つやつやして、安らかな顔やった。
持病はあったから、それが死因になってまうらしいけど、寝てる間に亡くなったから、私にとっては老衰。
それに85まで生きたし。
肺が悪くて呼吸は苦しそうやったけど、ぼけもせず、トイレも一人で行けたし。
最後までタバコ吸えたし、本も読めたし。
枕元には、タバコと、私が2月に買って送ったお守りが置いてあった。
写真とか、私がいつも身につけてるものとか、そういうのを入れてあげたかったのに、気づいたときにはもう遅かった。
おじいちゃんと二人きりになりたかったけど、私がおじいちゃんの部屋に行くと、誰かがついてくるから、結局二人きりでゆっくりはできなかった。
お通夜が始まるまではまだ実感できてなかったらしく、涙も出ず、泣きそうにもならんかった。
私はおじいちゃんが大好きやったのに、なんで泣けへんのやろう。
意地悪やと思ってたけど、そんなに薄情やったんやろうか、とちょっと心配になるくらいやった。


お通夜では、受付をすることになった、
式場で、おじいちゃんの写真が祭壇に飾られてるのを見て、初めて涙が出てきた。
そのままたくさん泣いてまいそうやったけど、受付をしてたり、一緒に受付してたおばちゃんと話してる間は気が紛れて、全然涙は出んかった。
式がはじまって、お経が唱え始められたら、また涙が出てきた。
今度は、全く止まらず、鼻水も一緒になって出てきて、嗚咽の直前までいって呼吸が苦しかった。
式場の中の誰よりも泣いてたと思う。
ハンカチをカバンに入れたままにしてたから手でぬぐうしかなかった・・・。
涙だけならまだしも鼻水も・・・。
どうせぬぐってもすぐに出てくるから、しばらく全てを垂れ流して、それからまとめてぬぐうという戦法を取った。
なんでこんなにおじいちゃんのことが大好きな私が、式場内じゃなくて受付におらなあかんのやろうと思った。


お葬式っていうのは、生きてる人のためにやってくれるんやなあと思った。
これがなかったら、未だに信じられんくって、泣けへんかったかもしれん。
がんがん泣いてるときに、お坊さんの有難い話が始まった。
親鸞は9歳のときから29歳のときまで修行をして、かなり高いところまで悟ったけど、街中で綺麗な人を見たときに、ムラっと来てしまって悩んだらしい。

そんだけ修行したのにムラっと来たということは、ある意味人間として正常と言えよう。
なんでそんな話するんやろ・・・と困惑してるうちに涙が乾いた。
あとから妹が「私はあの話、すごい面白かった。」って言ってるのを聞いて、こいつはピースボートに乗って何を学んできたんやろう・・・と脱力した。


そのあと、みんなでご飯食べるときも、子どもの頃以来会ってなかったおばちゃんやおっちゃんが、私に気を使って笑わせてくれようとしてるのが分かった。


でも、お通夜以外のときは、また普通に戻って、車の中とかでは、ゲラゲラ笑える感じ。
あんまり悲しくもならんかった。
ただ、寝るとき、電気を消したらまた涙が出てきて、そのままずっとずっと涙を流しながら眠った。
これが喪の作業なんやなぁと思った。